炭鉱夫は止まらない

世の中に眠った役立ちそうなものを探して綴る雑記

【感想】『天気の子』は大人になったおっさんを少しだけ変える話でもあった


劇場で公開されている新海誠の映画『天気の子』
今回の感想は映画ではなく、小説版をもとに書いています。
そのため、映画では表現されていなかった話や気持ちが出てきているかもしれません。

気になる人は小説版を読んでみてください。

ちなみにこの小説の一番の価値は、全体のうちの5%にも及ぶ新海誠と野田洋次郎によるあとがきと解説にあると思います。
あと、期間限定だけれど購入者限定の6分超えのスペシャルメッセージ動画。
電子書籍版だとメールでアクセスコードが送られてきました。


以下、盛大にネタバレを含みますので未読、未視聴のかたはご注意ください。



少年少女が出会って世界を変えてしまう

これだけで終わってしまえば、刺さる人には刺さるけれど、非常に限定的な人のための作品になってしまっていたでしょう。

ところで本作には4人のキャラクターを中心に物語が繰り広げられます。
この4人ですが、見事に対照的な立場なんですよね。

大人になれない少年・帆高
大人になりたい少女・陽菜
大人になりたくない女子大生・夏美
大人になってしまったおっさん・須賀

それぞれが違う考えのもと動いているから、例え主人公に感情移入できなくとも、他の誰かには心惹かれるのではないでしょうか。

社会人のおっさんになってしまった僕にとって、それは須賀でした。

後先を考えるのが大人

帆高が子供らしい子供、自分の行動がどんな影響を与えるか考えずに行動するキャラクターとして描かれているなら、須賀はその正反対の大人として描かれています。

行き場のない帆高に居場所を与える、胡散臭いけれどまるで父親のような存在。

そんな彼ですが、誘拐を疑われた途端に手の平を返すように帆高に実家に帰るよう促したシーンでは、思うところがある人もいるのではないでしょうか。
確かにこのシーンの須賀は決してカッコよくはありません。

でも決して間違っちゃいないと思うんですよ。

家族から行方不明届が出されている少年。家出の理由も別にDVがあって逃げ出したとかではない。
描写から想像するに恐らく思春期にありがちなもの。

単なる家出少年を匿って娘との生活を危うくするか、それともちょっと窮屈だけれど何気ない日常に戻ってもらうか。

大人から見て、帆高がこれ以上家出を続けることに意味は見出せません。
だから、大人である須賀は帰るように促します。
それが大人として正しい答えだから。

でも、本当は保身と帆高を天秤にかけただけで、正しさなんてのは自分や周りを納得させるためだけのもの。
そんなこともわかってしまうから、須賀はどこか気まずそうな、後ろめたそうな態度をとってしまう。

だから、須賀は言います。


「もう大人になれよ、少年」


行けと言う

夏美が語る、かつては大人らしくなかった須賀。
無茶をして、正しくはないことをして、それでも誰かを幸せにできていた日々。
それが終わってしまったのは大切な人を失ってしまったから。

作中で言及はされていませんが、須賀が大人になってしまったのはこの頃ではないかと思います。

大切な人に会いたくて。
でも亡くなってしまった人には会えるわけがなくて。
ダメになった挙句、娘の親権を義親に取られてしまって。
娘との生活を送るという当たり前のことさえできなくなってしまった。

そんな彼だから、今人生を棒に振ろうとしている帆高を、空に消えてしまった陽菜を追いかけようとする帆高を、大人として止めにいきます。

「このまま逃げ続けたら、もう取返しがつかなくなるぜ? そのくらい分かるだろう?」

帆高からすれば、なんだかんだ信頼していた大人に味方をしてもらえないと裏切られた気分かもしれません。
でも、須賀が言っていることは、やっていることは、帆高のことをとても思っていて、けれども子供である帆高にはそれは伝わらなくて。
なんでわかんないんだという須賀の焦りと苛立ちがありありと感じられます。
大人としてはこれが正しいんだと。

けれどもそんな須賀の気持ちも、帆高の一言で大きく変わってしまいます。


「俺はただ、もう一度あの人に――」
「――会いたいんだっ!」


それはリーゼントや他の警官には刺さらないかもしれない。けれども須賀にだけは決して無視できない言葉。
だって、もしも、もう一度亡くなった奥さんに会えるのだとしたら、須賀もきっと同じことをするだろうから。

理屈ではわかっていても心はどうしようもない
だから
須賀は言う
僕は言う


「行け」と言う


幸せになれたのは一人じゃない

天気の子のラストを語るとき、多くの人はセカイか少女かの話をします。
確かに陽菜を連れ戻したことで世界は大変なことになってしまいました。

でもここで救われたのは陽菜だけでしょうか?

僕は、この帆高の行動で救われた人の中に、須賀も含まれていると思っています。

あの事件から3年弱、須賀のオフィスは怪しいバーからマンションの一室へとランクアップし、社員も3人抱えたことで会社らしくなりました。
娘との暮らしも着実に近づいています。

この成果自体は間違いなく須賀の努力によるものです。
でも、あの事件が無かった場合の須賀がここまで頑張れたかというと、僕は頑張れなかったんじゃないかと思います。
きっと今も、あのバーのようなごちゃごちゃしたオフィスで細々とやっていて、娘との生活もほど遠かったんじゃないかなと。

それを変えたのは帆高のもう一度会いたい人へのがむしゃらな行動で、だからきっと、帆高の選択が救ったのは陽菜一人じゃないんじゃないかなと。


そう考えるとやっぱり、『天気の子』という物語のエンディングはバッドエンドなんかじゃないよね。

終わりに

読了した感情に任せて書きなぐってしまいました。
無茶苦茶な文章だけど綺麗にするのも何か違うと思うのでこのまま公開します。

本来とはちょっと違う視点から見る人がいてもいいんじゃないかなと思います。